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beniです。 フイルムカメラ(Nikon F3)で、北海道の昭和レトロな街を撮り歩いてます。twitterは@beni49、Facebookは本名でやってます
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2011 ~支える医療研究所支援報告③~
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2011年7月31日(日) 三日目の朝。気仙沼での活動最終日です。
晴れていれば気温が30度を超えるほどなのですが、この三日間はずっと雨で気温も25度程度。
北海道育ちで暑さに慣れてない私ですが、とても過ごしやすかったのを覚えております。


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宿からJRSのトレーラーがある気仙沼イオンまでの道のりは、こういう状況。
今から4ヶ月前は信号も点いていなく、交差点は譲り合いながら走ります。
港は地盤沈下してしまったため、満潮時になると海水が入ってきました。
今月12月になってやっと、気仙沼にも信号がついたそうです。



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イオンの駐車場では
被災地の被災者で作られた
ボランティア団体による
被災地復興イベント
【響げ!打楽器の港まつり】
の準備が行われてました。

気仙沼が自らの手で気仙沼を
盛り上げようと立ち上がり、
鼓衆&打楽器人達などが
パフォーマンスをしていたようです



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親子連れやお年寄りや若者で賑わい、屋台も沢山。浴衣の無料配布なども。




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最後の朝のミーティング




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この日は17時の飛行機で北海道へ帰らねばいけないので、午前中だけの巡回診療で3軒まわりました。



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一軒目は小高い丘の上に建つ
海の見える特別養護老人ホームです。
丘の上にあるので震災を逃れました。
低地にあった気仙沼のホームは
震災で使えなくなってしまったため、
この老人ホームに来ている方も
多くいるらしいです。




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二軒目は葬儀屋をされているお宅でした。
私は外で待機していましたので村上先生のメルマガから、その時の様子をお伝えします。

何軒か訪問した中で、葬儀屋を営む方のご自宅を訪問した時の事が印象に残っています。
ご家族も被災直後から超多忙になり、寝る暇もない状況が続いていたのだそうです。
あまりにも被害が大きかったために、棺が足りなくなりお断りする場面もあったと聞きました。
時間に関係ない仕事の為に不眠となり、随分痩せたとおっしゃっていました。
(夕張市立総合病院を引き継いだ「夕張希望の杜」の毎日メールマガジンより)


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3軒目は山の奥にあるお宅でした。お母さんが旦那さんの介護をして支えており、バイクで買い物も行くとか。
交通なども不便な場所ですが、ずっと住まれてこの場所から離れたくないと土地に愛着を持っておられる高齢者の方は多いです
病院へ入院するよりも、多少不便でも心穏やかにしてくつろげる場所にいることは、
どんな特効薬よりも、良い治療になっていると思います。
希望の杜を通じて何人かの在宅の患者さんと接する機会がありましたが、病気を持っているとは思えないほど
みなさん顔色もよく、素敵な笑顔をされます。
私は夕張が好きです。その大好きな夕張の歴史を作ってきたご老人達を支えている、希望の杜が好きです。


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この方も褥瘡が悪化。震災の影響はあらゆるとことに出ていますが、
電気が使えない、診療所が流されてしまった、そういう状況になり、被災地医療の新しいモデルが生まれ
あらためて在宅診療が見直されてきています。
私も白い施設に囲まれて過ごすよりも、家族の笑顔に囲まれて過ごしたいです。
親だけではなく、いつかは自分自信のことになりますので、人事ではありません。



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三日間の医療支援活動を終え、お世話になったJRSの皆さんにご挨拶をし 




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少し、気仙沼を歩きました。



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気仙沼市の鹿折には打ち上げられたままの巨大な船 全長約60メートルの「第18共徳丸」(総トン数約330トン)が。




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リトちゃん(11才)に三日間の感想をきいてみました。
「TVとかで写ってないところを見て、まだ全然片付いてないところも沢山あって
早くきれいになって、もし人が住める様になったら 沢山の人が住んでいけるといいなと思いました。
子供が遊んでいたようなおもちゃがあったりとか、普通に家の中にあるようなものが色々外に散らばっていて
結構大事なものとかもいろんなところにあると思うので、そういうものを探している物が早く見つかればいいなと思います。
TVで写ってないところも沢山あるので、本当に来てみないと分からないことが色々あるんだなと思いました。
復興に向け、出来ることを協力して行きたいです。」



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またこの場所に訪れた時は、笑顔で同じ道を歩きたい。




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2012年 被災地のみなさんが良い年を迎えれますように



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夕張希望の杜・NPO支える医療研究所の被災地支援活動はまだまだ続きます。
現在は藤沢病院の後方支援を終え、災害ボランティアとして夕張から東北へ沢山旅立っています

今回TV取材で同行された阿部幹雄さんのMIKIOジャーナルで放送された回がインターネットで見ることが出来ます。
http://www.htb.co.jp/mikio_journal/newsvod/1108/m_journal110811.asx 
(クリックするとはじまります)


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帰りの飛行機から見る夕暮れが美しかった
7月13~16日、7月29日~31日と2回被災地へ行き、沢山学ぶことがありました。沢山勇気をもらいました。
旅立つ前は、ああしよう、こうしようと考えていたものの、現地に立つと何も出来ない自分がいました。
伝えきれないことも山ほどあります。言葉足らずで申し訳ないです。
また東北へ訪れたいです。TVやネットの情報だけでなく、自分の目で耳で匂いを嗅いで触れて体験してきたものが
変わっているのか確認したい。そしてまた自分が出来ることを見つけれればなと思います。



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被災地へ行く機会を作って下さった夕張希望の杜のみなさま、支える医療研究所へ寄付して下さっているみなさま
支援活動に協力させてもらった藤沢病院のみなさま、JRSのみなさま、東北で出会ったみなさま、
ありがとうございました。



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細く、長く、ゆるく 続けよう。


写真活動において自分にとって、とても良い一年となりました。支えてくれた方々のお陰です。
2011年の更新はこれで最後となります。年賀状とか大掃除とか全く出来てないまま、今日も夕張へ行ってきます!
ずっと駆け足の年でしたが、別れもあったけど、それ以上の素晴らしい出会いが多かったです。
来年もほどほどに頑張ります。なまあたたかく応援して下さい!

よいおとしを♥

beni


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Top▲ | by benyanco-ltd | 2011-12-31 05:57 | 夕張
奇跡のちから
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今日で震災から8ヶ月が経ちますが、気仙沼は未だ瓦礫や震災の傷痕が残っていると聞きます。
7月に訪れた時の記憶は今でも鮮明に残っています。絶対忘れはしませんが、
人間ですから日にちが経てば経つほど、細かい記憶は徐々に薄れてゆきます。

宮城県の石巻に住むお友達が言ってました。

いま被災地で一番心配していることは
被災地を忘れ去られることです
友人などに「何をしたらいいの?」と尋ねられることがあるのですが
そのときには「一日一回、被災地のコトを思って欲しい」と伝えています。


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生活を支えるため働く日々で、復興に向けて大きな行動を起こすことが不可能な人も多いです
遠く離れて過ごす私達に今出来ることは


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一日一回、被災地のコトを思うこと。



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7月、岩手の藤沢町へ被災地支援の活動をしに来ていた夕張希望の杜の辻さんが
ボランティアで被災した家の清掃をしている最中に目に雑菌が入ってしまい、急遽治療しに病院へ行くことに。
辻さんが病院へ行っている間、移動手段が無い私を気仙沼まで送ってくれたのも、石巻のお友達でした。
撮影も付き合って案内してくれました。信号も無く道も分からない状況でもし一人だったら
心が押しつぶされていたと思うので 友のありがたさをとても感じた瞬間でした。


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案内してもらいながら気仙沼の街を歩いていました。
趣ある商店の前を通りすぎた時、視線を感じて見た先には・・




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お店の事務所の棚にスッポリはまっている一匹の猫がこちらを見てました。

写真撮っていたらお店の方がいらして、この猫の話をしてくれました。
名前は、くーちゃん。お子さんが空手を習っているからということで付けたとのこと。
3月11日、くーちゃんは同じようにこの場所で紐で繋がれてました。
そして津波が襲ってきた時、繋がれていたので動くことが出来なかったのです。。。
でもそのお陰でその場で浮いていた家具に乗っかり、難を逃れ生存できたとのこと。
もしつながれていなかったら、逃げまわって津波に飲み込まれていたかもしれません・・そう思うと、まさに奇跡の猫です。
「震災を逃れた猫なんだよ~♪」嬉しそうに話す飼い主のおばちゃんの笑顔を見ていると、
こちらも嬉しくてたまらなくなりました。

たった1時間ほどの街撮りをしている中で
猛暑の中、冷たい茶を入れ、ひょうたんのおじいちゃんのお話をしてくれたお母さんに出会い、
奇跡の猫のくーちゃんにも出会い、気仙沼に来て、こんなに沢山の笑顔をもらえるなんて・・
がんばろう。私も被災地の皆さんに笑顔贈れるように、がんばらなきゃ!
ここに来るまで、自分に何が出来るのだろうとずっと不安でいっぱいで怖かった。
ここに来て、勇気を山ほどもらいました。元気をもらいました。

感謝でいっぱいです。この気持を形に出来るように、これからも長い支援を続けて行きます。


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くーちゃん、がんばったね。ありがとうね。また会おうね。


撮影:2011年7月14日 宮城県気仙沼


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Top▲ | by benyanco-ltd | 2011-11-11 15:07 | 東北
希望の芽
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7月13日~16日の間、支える医療研究所の被災地支援報告のための撮影で被災地入りしました。
初日の13日は夕張希望の杜の辻理事長に案内してもらい、気仙沼と陸前高田の状況を見てきました。


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陸前高田は瓦礫がほとんど撤去された状態で更地になっていました。
大きな建物だけが数件残されていましたが、マンションの4階の高さまで津波が襲ってきたというのがわかります。。
その場に立つと、こんなに高い津波が襲ってきたなんて・・・と、TVの報道を見ているだけでは伝わらない恐怖を物凄く感じ、
もう、なにも言葉がでなくなる。カメラのシャッターも記録のために押さなきゃと、意識して押すのが精一杯で
構図だのなんだの考えれる心境ではなくなり 頭の中がカラッポになりました。



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この時4ヶ月が経ち、やっと瓦礫が撤去された状態。これから、どう復興していけばよいのか考えようと思っても難しい状況でしたが
復興には長い年月がかかるということを改めて強く感じ、長い支援をしてゆこうと思いました。
ゆっくりゆっくりとですが・・ あの鯉のぼりのように 希望に向かって空高く



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気仙沼はまだ瓦礫も沢山あり、復興へ向けての撤去作業があちこちで行われておりました。
さんま漁船を海に戻す作業をしています。海に戻されたこの第六十五新生丸は、
この時から約一ヶ月後の8月28日にさんまの初水揚げし、港が活気づきました。
震災3ヶ月半後にはカツオの初水揚げもされて、私が訪れたこの時期、とても美味しい気仙沼のカツオを頂くことができました。
カツオの水揚げ日本一を誇る気仙沼です。復興に向けての第一歩を感じれたことをとても嬉しく感じました。


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気仙沼の街の中は瓦礫だらけでヘドロの臭いもかなりしていますが、
ライフラインも復活しておりバスも運行。まだ信号は壊れたままなので、運転は慎重にしなければいけません。


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気仙沼の街の中を歩いてみます。



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歴史がありそうな趣ある建物もあり、とてもいい街並みだったということは震災後でも感じとれました



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バスの停留場です。お友達はこのバス停がとても好きで、震災前に私もここの存在を写真で見ていました



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奇跡的に時刻表は流されずにいたようです。お友達とも会えたかな。



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『気仙沼 GROUND ZERO ~風の広場~』
街の一角に大漁旗がなびいてて、綺麗に浮き玉などが並べられた場所がありました。
この時は地盤沈下による浸水で近づけなくて、何を意味していたものなのかは北海道へ帰ってネットで調べて分かったのですが
この場所に実家のあった方は弟さんを震災で亡くされ、瓦礫の中から大漁旗とガラス玉を取り出し川で洗って並べて
鎮魂と震災を風化させないために、グラウンドゼロという広場をここに作ったのだそうです。
6月11日には合同慰霊祭も行われました。


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創業90年の老舗のお茶やさん齊藤茶舗 お茶箱を干していました



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笑顔でいっぱい。




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種屋さんの店内に懐かしいものがありました。タイル貼りのタバコのショーウィンドウ。
タバコのパッケージで作った傘とか、懐かしいよね。ハイライトとセブンスター
北海道ではお店の中にタイルのショーウィンドウというのは見かけたことがなくて珍しいので
お店の方に許可を頂いて写真撮らせてもらっていたら、
「今、お茶入れるので上がっていって」と、冷たい麦茶をいれてくれました。


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この日はとても暑くて外の気温は30度を超えていて汗だくで撮影していたので
冷たいお茶を入れてくれたお店の方の優しい心づかいに生き返りました。



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「おじいちゃんがこういうの作るの得意でね、部屋の中にもいっぱいあるので見て行って下さい」
お茶をいただきながら部屋を見回すと、ひょうたんを乾燥させて色を塗り、とても緻密に絵を描いたものや、
可愛らしい造形のひょうたん細工が物凄い数天井からぶら下がっていて


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中には、気仙沼の景色が美しく描かれたものもあり。。
おじいちゃんは、震災の影響で体調を崩して亡くなれたそうです。
「これをどこかに展示したりとかしたかったんだけど、おじいちゃんが恥ずかしいから見せたくないって言っていたんです・・
でも私はいろんな人に見てもらいたいと思うんです。もしよろしかったら、見て行ってあげてください。」
本当に素晴らしい作品がいっぱいあって、素人さんが作ったとは思えないほど。



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宿へ戻る時間が迫っていたのであまり長くいれませんでしたが、
また必ず、おじいちゃんのひょうたんをちゃんと撮りに来なきゃ。
もし、気仙沼に行かれて この種苗やさんを見つけたら、おじいちゃんのひょうたん見に行ってみてくださいね。



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崩壊した家屋はまだあちこちに点在してましたが、日常の生活に戻ってきている街の様子に少しホッとしました。
しかしまだ余震も多かった時期です。心に刻まれた傷が癒えるにも長い時間がかかります。
でも気仙沼の街の人々は皆笑顔で元気いっぱい。いつまでも悲しんでいては前に進めないから



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時計は止まってしまったけど




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街は動きだしている 人の笑顔が溢れている




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希望の芽が咲きだしている




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着実に前に進んでいることを目に焼きつけ、そしてまだまだかかる復興までの長い道のりも実感し、
気仙沼の人々の強い気持ちに勇気をもらいました。自分が出来ることはちっぽけかもしれないけれど
少しずつ、ゆっくりと、長く、支援してゆくこと、3月11日に起きたことを風化させないことを胸に誓いました。

今日、10月11日で東日本大震災から7ヶ月が経ちました。
メディアでも取り上げられることが少なくなってきてますが、気仙沼はまだ陸の上の船も瓦礫もそのままと聞きます
忘れられるのが一番悲しい。わたしはだから絶対忘れない。




撮影:2011年7月14日、15日 陸前高田、気仙沼
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Top▲ | by benyanco-ltd | 2011-10-11 22:56 | 東北
オムソーリの心
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7月14日~16日の間岩手県へ、夕張希望の杜 NPOささえる医療研究所の広報として向かいました。
これから少しずつゆっくりと継続した支援を行うため、正しい情報を得て伝えれるように
実際に足を運び状況を見て、町の人々の声を聞き、歴史を学び、その町を知ることからスタートさせました。


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岩手県内陸にある藤沢町は人口9,124人(2011年7月)で、65歳以上の高齢者の占める割合は30%を超えています。
ちなみに夕張は人口10,738人で、高齢化率は40%超えです。
地域色の違いはかなりありますが、これから更に増えて行く少子高齢化問題は夕張だけではなく日本全体の問題なので、
その問題を受け入れ共にしていく町のあり方を、崩壊寸前だった地域医療を立て直し黒字経営に導いた
藤沢町民病院、行政、町民それぞれの声を、短い期間でしたが聞いてきました。


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町を沢山歩くと、ファインダーを通してその町の人や生活が見えてきます。



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スレートの瓦屋根。北海道で瓦はほとんど見かけません。竹林も無いのでとても珍しくて写真に撮ってしまいます。
東京駅や北海道庁旧本庁舎の屋根は、このウロコのようなスレートを使っているのですが、
石巻市の文化財修理業者が保管していた天然のスレートが津波で影響で倉庫が流されてしまいました。
しかし従業員が手作業で泥を洗い流して4万枚を出荷したものが、東京駅丸の内駅舎のドーム型屋根で使われる事になりました。


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山林に囲まれた町はどこか懐かしげで、穏やかな暮らしを感じさせます。




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タクシーに乗ったら、「今朝、役場で写真撮ってたしょ?」と言われました。
かなりウロウロしていたので目立っていたかもしれません。
うねる道の上の標識には、藤沢町役場と藤沢町民病院の名が。
藤沢では、役場と病院、介護老人施設、特別養護老人ホームなどが同じ敷地内に並んでいます。

この町にはかつて、佐藤光栄医師が開業する高金医院がありました。医師不足のために県立藤沢病院が廃止された昭和43年から、
佐藤光栄医師は総合医として睡眠時間を削ってでも住民のために献身的に医療活動をし、無理がたたったのか、
昭和62年にガンで69歳に天へ召されました。
信頼を寄せていた佐藤光栄医師が他界し、病院がなくなった住民は一日がかりで他の町の病院へ通い、
亡くなった人の半数以上が他所の病院で、自分の住み慣れて好きな場所で最後を迎えることが出来ない状態になってしまいました
最後まで暮らせる町でなければ本当の故郷とは言えない。と、前佐藤守町長は、政治生命をかけて町立病院の建設に力をいれます。
建設から開業まで、想像以上のただならぬ努力をしてきました。


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そして、県立病院がなくなってから25年の歳月が経ち、安心して暮らせるための町民病院が開業できました。
かいつまんでお話しさせてもらっているので全てをお話は出来ていませんが、
とにかく住む人々、行政、医師、それぞれが幾多の試練や苦労を乗り越えてきたからこそ、
今、安心して暮らせるやさしい町づくりに自信と誇りを持っていれているのが、藤沢町です。
地域医療の先進地なのは、そうした歴史の中で生まれた住民ひとりひとりの
病院の大切さを感じている意識の高さが、とても関係していると思われます。


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今回お世話になった民宿観樂樓の佐藤静雄さんに案内してもらい、藤沢町役場の見学をさせてもらいました。
昔ながらの佇まいで昭和初期にタイムスリップしたかのようです。
なんでも箱物を立てて地域の首を締めることは、ここではしません。「古くても使えるものは最後まで使うんだよ」
新しければいいというものではない、大きければいいというものでもないんですね。


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藤沢の町長さんと、少しですがお話をさせてもらうことが出来ました。



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藤沢町長 畠山 博さん

地域の事は地域に住む住民が決め、自ら暮らす地域の未来に責任を持ち、
住民と行政が対等の立場でいる町づくりが長く築かれていることに誇りを持っているそうです。
藤沢の病院では17年間黒字経営なのですが、そのお話もしました。
支えあい喜びあえる福祉の里づくりにおいて医師確保は町の最重要課題であり、在宅医療も積極的に推進しており、
住民一人ひとりが生きる喜びや幸せを実感出来る、やさしい地域社会を作ることを大切にしている
そのためには、オムソーリの心を持つことが大切。
オムソーリとはスウェーデン語で、分かち合いという意味。
スウェーデンは福祉大国。痛みを分かち合い、相手を思いやる。
住民がこの地域や病院を守り創ってゆくことが次代に対して私たちの責任であると話されていました。

地域医療にとても意識が高いことに驚くと、
病院がなくなると困るから、意識が高くなるのは当たり前の事。驚くことではないと言われました。
藤沢には17年前から、地域ナイトスクールという、町民に情報を流して医療や病院への意見を交換する場があるそうです。
病院、町民、お互いを知る事は大切です。その二つの架け橋をしてゆくのも行政の役割であるのですね。


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お医者さんが働きたいと思える場所、町民が笑顔で暮らせる場所、どうすればそういう町づくりが出来るのか
藤沢という場所を通して、少しづつですが見えてきた気がします。
今日から又被災地へ広報のお仕事で向かいます。短い期間ですが頑張ってきます。
札幌に戻ってきたら、様々なイベントでバタバタしておりますが、次回は町の人と病院のことをお伝えしたいと思います。

少し急いで書きましたので誤字脱字文章の間違いありましたら、すいません。
では、行ってきます。

撮影:岩手県藤沢町
camera:Nikon F3
lens :Nikon Nikkor 50mm 1:1.4
Film:FUJICOLOR 100

1、13~15枚目 Nikon D40


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Top▲ | by benyanco-ltd | 2011-07-29 01:25 | 東北
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